1900年、創業者エドワード・J・マクミランが、テネシー州ノックスヴィルに「スタンダードニッティングミルズ」を設立。自社ブランドとして「ヘルスニット」が生まれました。
1920年代に入ると、ノックスヴィルは世界最大の繊維産業地区へと発展しました。地域内に13の紡績工場を持ち、ノックスヴィルは”Underwear capital of the world(世界の下着の中心地)” と呼ばれるまでとなりました。
その中でも、スタンダードニッティングミルズは100万平方フィート(東京ドーム約2個分)という地域最大の敷地を持ち、紡績から縫製までの一貫した生産設備を有していました。3,500人以上を雇用し、非常に多くのTシャツや下着を製造していました。当時アメリカ最大の繊維製造工場であったとも言われています。
1940年代になると、第二次世界大戦下のアメリカ軍と巨大な契約を結び、何十万着というサーマルアンダーウェアやドロワー(冬用のレギンス)を受注し、製造することとなりました。
第二次世界大戦が終結すると、外国からの輸入品が急増し競争に晒されたことで、ノックスヴィルでは多くの工場が閉鎖され、失業率が増加しました。しかしその状況の中でもヘルスニットは成長を続け、当時アメリカで最も人気のあるブランドの1 つとなりました。
ヘルスニットの製品はアメリカ全土および世界中で販売されるようになりましたが、その全ての製品をノックスヴィルの自社工場で製造していました。
1960年代まで、『Tシャツ』という言葉は、真っ白の『下着』を指すものでした。しかし60年代後半になると、ヘルスニットは『下着』という枠組みを超え、カラフルな製品を作り出し、新しい価値観を創出しました。色とりどりのTシャツは、ムーブメントとして盛り上りをみせていたヒッピースタイルの若者に大流行しました。
またこのころ、Tシャツに写真やスローガン等のプリントが施されたものも流行しました。企業ロゴや、映画やアニメのキャラクターがプリントされたTシャツをヘルスニットでも数多く生産していました。
Tシャツというものが『下着』から『ファッション』へと変化した時代を支えていました。
ヘルスニットは創業から現在に至るまで、120年という長い歴史で培った安心と信頼を基に、高い品質・洗練されたスタイル・快適な着心地にこだわった製品を、変わることなく作り続けています。